須藤竜之介さん(九州大学大学院)

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久留米絣という名の未来を共有するインタビュー

2020年4月30日 氏名 須藤 竜之介

 

  • 久留米絣を知ったきっかけ(過去)

人生のルーツをたどる

 

久留米絣を知ったのは、大学院の実習で八女市を訪れた際に、たまたま立ち寄った工芸品のセレクトショップうなぎの寝床で久留米絣のもんぺを見つけたことがきっかけでした。そのときは久留米絣が何なのかもわからず、また、当時のわたしにとっては決して安い買い物ではなかったこともあり購入は見送ってしまったのですが、「もんぺ」の独特な語感もあいまって、その後もずっと記憶に残り続けていたのを覚えています。

後日、福岡市内で開催されたもんぺ博覧会というイベントを訪問し、久留米絣との再会を果たします。博覧会には色とりどりの久留米絣でつくられた柄のもんぺが並んでいて、これをきっかけに自分が伝統工芸に対して抱いていた少し素朴で地味という印象が変わった気がします。そして、会場でたまたま見つけた奇抜な柄のサルエル風もんぺに心を鷲掴みにされてしまいました。この日から思いもよらなかった久留米絣とわたしの長い付き合いがはじまります。

 

 

  • 久留米絣と私(現在)

生活やビジネスにおける関り

 

先述の大学院の実習を経て、久留米絣を八女市での調査活動のテーマとすることにしました。下川織物をはじめとする絣の関係者の方々に聞き取りを行い、絣産業は社会における和装から洋装への変化などで厳しい状況に立たされていて、存続のために様々な取り組みに挑戦していることを知りました。このような背景を知り、自分たちにも何かできることはないかと思い、消費者という立場から久留米絣を振興していく方法を考えることにしました。

そこで、大学院の仲間たちと久留米絣のもんぺを着用するパフォーマンスグループとして「伝統工芸振興アイドルmonpers」というユニットを立ち上げ、主にInstagramを通して絣を日常で着用する風景の発信をはじめました。この発信活動と並行して、国内外の絣産業の実態を調査し、その成果をまとめたkasurというフリーペーパーの発行も行っています。

これらの活動を地道に続けていくことで、本当に小さなコミュニティにおいてのみではありますが、最近ではイベントでの登壇のオファーをいただいたりするようにもなりました。はじめは調査対象だった久留米絣は、気づけば今は1ファンとして応援する対象であり、そして日々の暮らしに欠かせないパートナーとして私の生活を支えています。

 

  • 自身の人生における絣の存在(未来)

久留米絣と寄り添って、これからを生きていく

 

久留米絣についての調査をきっかけに、わたしは服の生地がどのようにしてつくられているのかを具体的に知ることができました。久留米絣については今ではその製法や歴史まで説明できるほどです。今の私には、絣はデイリーウェアであるとともに、衣類について背景から説明ができる一種のコミュニケーションツールにもなっています。また、日本を感じ、伝えるツールのひとつでもあります。今は洋装化をはじめ、暮らしのなかであまり日本らしさを感じる機会がないような気がしていて、久留米絣を着用することで日本の文化を纏っている感覚が個人的にはあります。これは海外の人とのコミュニケーションに役立つこともあります。

こういった機会を経て、今は衣食住をもっと身近に感じられる暮らしやパッケージをデザインしていけたらなと考えるようになりました。そういった取り組みの中で、古くから日本の暮らしに縁のある工芸品と人々とを結び付けられたらと思います。世の中が大量生産、大量消費から少しずつ脱却しようとしている流れがあるので、長く使えるものの多い工芸品にはまだまだ可能性があるのではないでしょうか。また、monpersの活動のように、生産者、販売者以外の立場からどのようなアプローチやプロモーションができるのかにも挑戦し続けていきたいです。久留米に限らず絣産業そのものの存続、また絣も含めた多くの伝統工芸が持続できることを願います。そのためには、関心をもって自主的に動いてくれるファンを増やす、そういった仕掛けを未来に向けてつくっていくことが必要だと思います。まだまだこれからですが、今後もわたしの側にはいつも久留米絣がいることでしょう。

<須藤竜之介さんについて>

改めて、須藤くんの文脈を読みながら振り返ってみると、おそらくお互い出会った頃は必死だったのかなと思う。その必死さの波長がちょうど同じっだったのかもしれない。須藤くんは、大学院の実習のテーマ決めで「久留米絣」を取り上げて、どのような方向性で取り組んでいくのか、探っていた。私自身は、「情報発信と工場見学」の活用で久留米絣の新たな可能性を探っていた。そして、世の中も「ゆるキャラ」「ご当地飯」「ご当地銘品」など地方から発信していく時代になっていくときだった。インバウンド含めて、地方の「いいとこ探し」「いいもの探し」がブームになっていくのと、並行してMonpersの活動も始まった。そこには、一筋の夢というか希望みたいなものが見えた気がする。須藤くんがインタビュー冒頭に書いていた「思いもよらなかった久留米絣との長い付き合いが始まった」は、私自身にも当てはまる言葉だ。