久留米絣という名の未来を共有するインタビュー
2020年4月16日 氏名 小倉知子(おぐらともこ)
- 久留米絣を知ったきっかけ(過去)
人生のルーツをたどる
久留米市で生まれ、荒木保育園・荒木小学校・荒木中学校と、中学卒業まで、久留米が世界の全てだった。高校進学のため長崎へ。それから大学は東京へ。
世界の全てだった久留米への帰省は、夏休みや年末年始などの年に数回になった。たまにしか帰らないからこそ、久留米の街がどんどんと閑散としていくことを肌で感じた。久留米が世界の全てだったとき、一番街は最もわくわくする場所で、友達と買い物したり、映画観たり、カラオケ行ったり。きらきらした思い出がたくさん詰まっている場所が、少しずつシャッター街になっていった。その姿を見るたびに、胸の奥がずーんと重くなり、その中でなんとなく「そのうち自分もなんとかせんといかん」って危機感のような正義感のような想いが少しずつ募っていったように思う。
とは言うものの、イニシャルキャリアはメガバンク(東京)、その後も海外で金融の仕事を続けた。ただ社会人として余裕が出てきたころから、たまの久留米帰省時は、積極的に地元の人とネットワーキングするようになった。ネットでいろいろと情報を得られるようにもなってきていたので、日ごろから久留米関連で面白い記事やニュースをチェックし、帰省前にはアポ取りなんかして。
その中で出逢った一人が、古賀円(こがまどか)さんだった。誰かの紹介というわけでなく、ネットで円さんを知って直接「初めまして。会いたいです!」のメッセージを送った(もちろん実際に送ったメッセージはもっとちゃんとしています笑)。久留米で生まれ育っているのでもちろん久留米絣の存在は知っていたが、円さんを通して久留米絣に改めてきちんと出逢ったと思う。それから私が久留米絣大好き!となるまでは割と早かった。八女で活動していた幼馴染に教えてもらった『うなぎの寝床』さんに行った際に、久留米絣のスカートを購入。肌触りが良く取り扱いが簡単なこともあり、それから割と毎日ガシャガシャ着ていたらすっかり愛着が湧き、気がついたらお気に入りになっていた。
- 久留米絣と私(現在)
生活やビジネスにおける関り
久留米絣の、特にスカートがお気に入りになってからは、割とどこへ行くときでも持っていった。クシャクシャっとちっちゃくまとまってかさばらず、旅先でもガシャガシャ使えて大活躍。ある旅先で、ニューヨーカーのマダムに「あなたの赤いスカート素敵ね。どこで買えるのかしら?」と尋ねられた。まず素直にとっても嬉しく、そしてそのときに「!!」「よし、自分の大好きな久留米絣のスカートをNYに発信しよう!」と。はい、それから現在に至ります。それからは、会う人会う人に「久留米絣をNYへ!」を合言葉に動いてきた。そしたら、思いがけない人との繋がりや新しい世界と出逢えた。私が久留米絣をNYへもっていく前に、久留米絣が私をいろんな世界へ導いてくれている。この全ての出逢いに感謝感謝。この恩は「久留米絣をNYへ!世界へ!」と展開して発信していくことで、返すからね!待っててね、久留米絣さん。
- 自身の人生における絣の存在(未来)
久留米絣と寄り添って、これからを生きていく
私は、織元さんでもなければ、和裁もしくは洋裁の達人で久留米絣を素敵な服へ変身させる術をもっているわけでもない。ただあるのは、久留米絣へのパッション、地元久留米への溢れる愛だ。こんな、ある意味へんてこバランスな私だからこその、久留米絣への寄り添い方があると考えている。いまはその具体的な寄り添い方を、周りの久留米絣つながりの人とわちゃわちゃ動きながら模索・構築中。そして求めずともいま、世界はパラダイムシフト中。これから創られる新しい世界の中で、ちっちゃくてもしっかりと「私の久留米絣」のポジションを築いていこうと思う。来たる新しい時代の「私の久留米絣」に乞うご期待!!
<小倉知子さんについて>
スタートアップの真っただ中の小倉さん。
「久留米絣に出会い、久留米絣に寄り添ってこれからを生きていく」
そこに立ち会えることが「起業家支援事業」の意義。
彼女の今後の活躍が楽しみです。
久留米絣織元 下川織物
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