久留米絣とは

久留米絣とは

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久留米絣(くるめがすり)は、福岡県南部の筑後地方一帯で製造されている絣。生産されているもののほとんどは着尺(きじゃく)の綿織物。織幅が1尺(約38㎝)の織物。括り(くくり)とよばれる技法であらかじめ染め分けた糸(絣糸)を用いて製織し、文様を表す。伊予絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。久留米絣の技法は1957年に国の重要無形文化財に指定され、1976年には経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されている。
江戸時代の後期に、井上伝という当時12歳の少女が創始したとされる。久留米藩が産業として奨励していた。一時は年間200〜300万反を生産したが、戦後は洋装化により絣の需要が激減、現在は少量の生産にとどまる。
日本の小説家、太宰治は久留米絣を用いた着物を好んで着ていたともいわれています。

もともとは、生活必需品だった久留米絣

TVドラマや映画などご覧になれば、一目瞭然ですが江戸後期、明治、大正、昭和初期は老若男女問わず、庶民の普段着は絣の着物でした。生活必需品として久留米絣は現在とは比べ物にならないくらいの生産量を誇ってました。

洋装化の流れにおされて

戦後を境に普段着に絣の着物を着る人は急速に減っていき、洋服が普段着となりました。
それまで庶民の普段着として定着していた絣はその役目を終えたといってもいいでしょう。
昭和の高度成長期あたりを境に絣の生産は製造織元の件数とともに激減していきます。

逆転の発想

「このままでは久留米絣はなくなる」その危機感からの一心でした。
着物地としてではなく、洋服地としての絣をつくる。
そのなかで考え出したのが、それまで絣の生地としてはほとんど需要のなかった無地でした。絣の生地と同素材、同じ製法、同じ織機で無地を織ることで柄+無地の組み合わせでデザインされた洋服をつくりだすことに成功。主に産地メーカーさんのオリジナルブランドとして久留米絣の生地は新たなニーズを生み出すことに成功しました。

 

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