とわ樹さん

起業家支援事業 久留米絣織元 下川織物

青梅縞と所沢絣などと競い合ってきた村山織物。綿織物から絹織物の「村山大島紬」になるにあたり、地元の業界団体は伊勢崎の技術者を誘致し、昭和8年頃には、最盛期を迎えたそうです。昭和50年には、テレビコマーシャルも流し、「不況知らずの売れ行き」で、韓国産の「大島」が出回ったとか。この頃、1500人程度のアルバイト的な家庭の主婦の作業に支えられて、量産体制を維持したようです。

Posted by とわ樹 on 2016年2月20日